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橘真琴はなぜ競泳の世界から離脱したのか
JUGEMテーマ:漫画/アニメ
Free!ES14話(エクストラ)やドラマCDで見せた勝利への貪欲さを橘真琴はなぜ競泳に発揮しないのか?
という疑問ツイートを読んで、私の考えを連投ツイートしました。
それをまとめて、少し加筆してみました。
主に真琴の側からのみの考察です。

 
「自分は遙に勝てない、遙に勝ってその先へ行こうとする気になれない」と真琴が自覚した時点で「勝負の世界ではやっていけない、向いてない」と自分自身に見切りを付けたじゃないかな。
凛が遙と競うのを楽しんでるみたいにはなれない、それは勝負の世界では致命的 だと思ったのではないかと。
 
遙以外の相手なら勝ちに行ける、勝負を挑める…と「絶対に敵わない相手」が存在することをスルーできない真琴のストイックさというか。ゲームで対戦するのとはわけが違う。
同じ世界で遙と同じもの、同じ景色を見たい、一緒に歩みたいという欲はある。
でも遙が目指す世界は今まで通りの「水泳部」ではない。
 
ES6話は真琴がそれを自分に分からせるための「勝負」だったのではないか。
分かってたけど、それでも諦めきれない自分に引導を渡すための。
分かってなお手を伸ばす、伸ばしても届かない真琴の白い手が切ない。
あれ、子どもの頃のハルちゃんを追いかけてた幼い手だったしね。
 
「ハルちゃんと一緒じゃなきゃ意味ないよ!」
と言い切った、子どもの自分との決別。
「おまえは何のために泳ぐんだ」
遙に問われて一瞬言い淀み、
「それは…ハルと…仲間たちと泳ぐためだよ」
と、子供の頃と変わらない答えを返す真琴。
遙が世界の全てだった真琴。
 
「ハルと一緒に泳いでいたい」というのが昔からの(そして今も)真琴の本音で望み。
だけど、もう同じ世界にはいられない、追いつけないことも分かってる。
真琴を引っぱってきたのは遙だけど、遙の手を引き背中を押したのは他ならぬ真琴自身だから。
 
あの勝負で(ハルちゃんと二人で狭くぬるい生簀に閉じ籠りたがる)子どもの自分に引導を渡し、スーパーヒーロー的存在だった幼なじみへの執着を手放した。自分を執着から解放して、遙を自分から解放して、孤独な何かを手に入れるための。おとなになるには避けられない通過点。
 
それでも遙と競い合える凛に複雑な…嫉妬とも羨望ともつかない感情に胸をざわめかせる。
真琴自身はっきりとは自覚してなかったろうけど、あの勝負で「そうなのかな…」と気付いたのかも。
凛と話してる遙、それをスタンドで見てる自分。
その距離はそのまま遙と自分との距離。
 
真琴の諦観とモヤモヤは本人もはっきりとは自覚してないけど、それを遙が知ることはない。
勝負の後、泣いてるのかと危ぶんだ真琴が笑ってホッとしてた遙。
真琴が笑ってた、という時点で遙にとってあの勝負はもう終わったこと、済んだことでしかない。
真琴の真意を知ることはない知ろうともしない。
それが良いか悪いかということではなく。
 
あの勝負は真琴だけのもの。
諦めも悲しみも決別も真琴しか知らない。
遙はもちろん怜や渚や凛、宗介、似鳥の苦悩は周囲の知るところとなるし、共有もするけど、
真琴の悲しみは真琴だけのもの。
この孤独。
 
でも真琴の「変化」を「勝負」と「バイト」でなんとなく嗅ぎつけたんだろうね遙は。
進路問題でナーバスになってるところにそれが拍車をかけてあの情緒不安定ですよ 
いつも遙を肯定する真琴、いつも笑顔の真琴、いつも遙をかまって頼ってくる真琴。
真琴に依存してたのは遙も同じか。幼い共依存の関係。
 
幼年期の終わりを迎えるために、競泳の世界に触れ、泳ぎたいという原初的な願い、望みを思い出すために、真琴のいないオーストラリアへの旅は必要だった。
その水先案内人は(同じ世界で競い合える)凛でなくてはならなかった。
 
Free!はこだわりやコンプレックスから自分を解放して集い、泳ぎ、やがて何者にもなれる(Freeな)可能性を秘めた幼年期から孤独な不自由に向かって歩き出す、解放の物語なんだなあ。
 
幼年期の終わりを迎えて年相応の幼なじみで親友の関係を手に入れた遙と真琴。
解放されて孤独を受け入れ、そのうえで新たな絆を結び、それぞれの目標に向かっていく。
一歩踏み出すのが遙から、というのが嬉しい。
【2015.04.06 Monday 17:01】 author : あ〜る
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